映画鑑賞会『セント・エルモス・ファイアー』報告
- endo468
- 1月31日
- 読了時間: 7分

2025年12月11日(木)に行われたJAIP映画鑑賞会は、『セント・エルモス・ファイアー』を鑑賞しました。
今回は、初参加してくれた方が2名!
何回目からでも初参加は大歓迎です。
いつものように上映前に軽く食事を済ませます。ちょっとした差し入れを持ってきてくれる人が多く、ありがたくいろいろといただきながら、お互いかんたんな自己紹介などをしました。
お腹が落ち着いたところで、上映開始です。
以下は、映画の感想です。
* * * * *
物語は、大学を卒業したシーンから始まる。仲のいい男女7人組。ミュージシャン志望のビリー(ロブ・ロウ)、政治家志望のアレックス(ジャド・ネルソン)、弁護士志望のカービー(エミリオ・エステベス)、ジャーナリスト志望のケヴィン(アンドリュー・マッカーシー)、銀行に勤めるジュールス(デミ・ムーア)、建築家志望のレズリー(アリー・シーディー)、ソーシャル・ワーカーのウェンディ(マーク・マクドウェル)。ビリーは、学生結婚した妻との間に子供もいるにもかかわらず、ウェンディにちょっかいを出している。アレックスとレスリーはつきあっていて同棲している。カービーは大学の先輩で今は医師として働いているデイル(アンディ・マクダウェル)に片思いをしている。
オープニングの大学卒業時は、みな晴れ晴れとした顔をして、希望に満ち溢れていたのに、社会に出てみるとそれぞれが壁にぶち当たり、もがいている。ビリーはミュージシャンになりたいがなかなか芽が出ない。当座の生活のために定職につこうとするが長続きせず、妻との関係もうまくいっていない。アレックスは、民主党員だったのに民主党では出世の見込みがないとわかるとさっさと共和党員の秘書になり、仲間を驚かせる。レズリーと結婚したがっているが、レズリーはまだ早いとそれを拒んでいる。ケヴィンは新聞社に入社したものの、死亡記事しか書かせてもらえない。弁護士を目指しているカービーも、デイルにいれあげてそれどころではなくなっている。銀行に勤めるジュールズは、派手好きで楽しいことが大好きないわゆる「パリピ」だが、妻子ある上司とつきあっている。レズリーは、建築家として一人前になる前にアレックスと結婚してしまうことに不安を覚えている。ソーシャル・ワーカーとして働くウェンディは、裕福な家の出だが、自立したいと思ってファミリー・ビジネスとは関係のない福祉の仕事についたものの、なかなか仕事にやりがいを見いだせないでいる。
大学生のころ思い描いていた理想とあまりにも違いすぎる働くことの「リアル」に直面し、戸惑い、思い悩み、葛藤する姿に、当時の多くの若者は共感したのだろう。
何十年かぶりに見直してみると、「まっとうに青春してるなー」というまごうかたなき中高年の感想になってしまうのだが、それでも、若い彼らの「生きることに真摯」な姿に、ちょっとばかり胸が熱くなってしまう。
ところで、クドカンのドラマ『不適切にもほどがある!』では、1980年代の日本社会は、今の目線で見るとコンプラ的にアウトなことばかり、という内容だったが、この『セント・エルモス・ファイアー』も、今見るとビックリなことがけっこうあって、すっかり忘れていた私はそのたびにギョっとしてしまった。一番驚いたのは、パリピのジュールズがパーティーでコカインを吸っていたことだ。白い粉を線状に細長くして、片方の鼻から吸い上げている。今なら映像として映すのもNGなのではないか。あとはビリーが、ウェンディにたびたび「まだヴァージン?」と聞いているのだが、それも今だったら絶対アウト。
あとは、「この映画がのちの日本のトレンディードラマの原型になったのではないか」ということが、鑑賞後の話題になった。たしかに男女7人で、そのなかでくっついたり離れたりの恋愛模様があり、というあたりはまさにそんなかんじだし、彼らの住むアパートメントの豪華さ、オシャレさは、ぜったいトレンディードラマで模倣している。あの若さで、だだっ広くて、壁一面に写真がトレースされていたり、どピンクの壁にアートが描かれていたりという部屋に住めるわけがない。わけがないのだが、その夢のようなオシャレにあこがれた若者は多かっただろう。
また、初めて見たときは気にもしなかったことが、今見るといろいろわかるということがあって、まずは彼らの出た大学が、設定ではジョージタウン大学となっていることなどがそうだ。アメリカの大学の中でもトップクラスの優秀な名門私立大学。ウェンディは裕福な家であることがわかるが、そのほかの6人もなんだかんだ言ってそんなに育ちは悪くないのだ。全員白人というのも、そういうことを考えるとむべなるかな、である。 それからアレックスが民主党員から共和党議員の秘書になる、というくだり。リベラルな民主党から保守の共和党への鞍替え、という衝撃の大きさは、アメリカの政治をまったくわかっていなかった当時の私には全然ピンと来ていなかった。
はじめてこの映画を見たのは、たしか高校生の頃だったと思うが、そのときは3人の女性たちの中でデミ・ムーア演じるジュールズが好きだった。美人で派手で、自由奔放に見えながら、その実、求められなかった家族の愛を、妻子ある男性に求めて傷つき、ボロクソにけなす義母を完全に見捨てることはできないでいる。最終的に恋人も職も失い、なにもない部屋で白いTシャツだけを着て、膝を抱えているジュールズは、すべての虚飾がはがれ落ちて、無防備な子どものようだった。そういうあぶなっかしい脆(もろ)さが好きだった。
でも今見ると、ソーシャル・ワーカーとしてまじめに働き、最終的に家を出て一人暮らしを始めるウェンディが、とても魅力的に見えた。自分を含めた家族、ひいては一族の、決して冒険をしない、謹厳実直な性質に心のどこかで反発しているウェンディは、自分とは正反対のような性格のビリーに惹かれる。ネタバレになるが、最終的にウェンディはビリーと一夜を共にするが、その後ミュージシャンを目指して旅立つビリーについていこうとはしない。家を出て自分だけのアパートで自立しようとするウェンディは、父や恋人といった男性からの庇護を拒否して、自分の足で立とうとする強い意志が感じられて、思わず応援したくなってしまう。
ウェンディは、自分だけの部屋を持てたことのうれしさを「真夜中に、自分のキッチンでサンドウィッチを作って食べた。今までで一番おいしいサンドウィッチだった」と言っているが、それを聞いて私は、ヴァージニア・ウルフの『自分だけの部屋』を思い出した。
「女性が小説なり詩なり書こうとするなら、年に500ポンドの収入とドアに鍵のかかる部屋を持つ必要がある」
女性の自立が困難だったウルフの時代から約半世紀、ウェンディは自立できるだけの収入と、鍵のかかる部屋を手に入れた。そこからさらに半世紀近くたった今、はたして女性はもっと自由になっているのだろうか。
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映画鑑賞後、初めて参加してくれたTさんが、懐かしいものを持ってきてくれました。

1986年の「ぴあ」「シティロード」「プレイガイドジャーナル」です。すべて映画、演劇、音楽などの情報誌ですが、「プレイガイドジャーナル」は関西圏のイベント情報誌だそうで、私は知りませんでした。実を言うと「シティロード」も見たことはなく、あとで調べたら1992年に休刊、1994年に廃刊になっているので、気づく前になくなっていたみたいです。とはいえ、1986年の情報誌。みんな「懐かしい~」と言って食いついていました。お年がバレますね。。
それにしてもこんなレアものを持っているTさん、ガチの映画ファンじゃないですか。映画製作・配給会社ごとの「テイスト」のちがいみたいなことも教えてくれて(マニアック! たまらん!)、そういう見方はしたことがなかっただけに、新鮮でおもしろかったです。
退室15分前にはいつもように片づけをはじめ(だんだん慣れてきて手際よくなってきました)、原状回復の写真を撮って無事退室。
その後は例によって近くの居酒屋で希望者のみの二次会です。次の映画はなににしようか、などということをあーでもない、こーでもない、と話しているうちに夜も更けていくのでした。
(MHM 遠藤尚子)




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